味の満たないま


もういつの頃からか、今お世話になっている散髪屋さん(床屋)に通い始めて20年になります。
今の住み家に移る前からですから、引っ越して遠くになってもこだわって通っております。
勤め人ならとうに定年を越えたお歳のマスター。
私が通い始めたあの頃には幾人かのスタッフがいましたが、今はおひとりで切り盛りしておられます。
そして何より、新規顧客開拓には興味もないようで、
私のように長年通う固定客だけを相手に、「新規客はいらないよ(マスター・談)」と言います。
じゃ私も、「最後まで面倒みてよ、他所は行く気ないからね」と(笑)
たぶん、その刀尽きるまで…というか、ハサミ尽きるまでご縁は続くと思います。

マスターは昔ながらの職人気質で、カットしながらウンチクを語ります。
私も随分と、奥深い理容の世界を聞かされました。
今では自分のハサミを研ぐ人も稀だそうで、
刃物は違えど、かつて私の親父が語ることとの共通点が、
なんだか聞いていて「うんうん」と頷くことも多かったと思います。
私も子供のころから親父の道具(刃物)の手入れを見て育ちましたから。
「その人の道具を見れば、仕事ぶりが見えてくる。」
たしかに、そうなんだと思います。
私の職業には少し縁遠い話かもしれませんが、
やはり、そうしたマインドはどこかで活かしてゆけるものと、心にずっと備えております。

さて、そうした道具。 こと刃物の世界なのですが、
素人にはわからない、用途によって研ぎ方ひとつ違います。
そして何よりも、自分で研ぐからこそ少しでも切れ味が劣っていたらすぐさま研ぐそうです。
研ぎを外(刃物店)に出している人は、こまめに研ぎに出すわけにはいきませんから、
使うにつれて減る切れ味、つまり完璧な切れ味の満たないまま使い続けることになります。
したがって、その仕事ぶり(出来栄え)も、おのずと…。
最高の仕事とは、やはり「道具から」という理由はここにあります。
  


2014年09月24日 Posted by ranjian at 11:24Comments(0)miesiei

誰かが何とかし


朝寝坊ときめ込んだのに、日曜日の朝、健一はいつもと同じ時間に目が醒めた。
目を開けたところで見えるものは普段と何も変わりない。ローンもたんまり残っている安普請の家の見厭きたベージュの壁、黄色い染みが浮いた押入れの襖と誰も弾かなくなったアップライトのピアノ。自分が手掛けたカレンダーの見厭きた女優の写真である 願景村 退費

。仕事でつくったCDや雑誌が押し込まれている本棚である。
子供じゃあるまいし目が醒めると世界が変わっていると思う五十がらみの男がいるだろうか。もうひと眠りと布団をかぶったが、学生時代のようにいい夢は滅多にみられなくなっている。
起き出して二階に上がるとリビングで妻の明子がコーヒーを飲んでいた。休みの日にはいつまでも寝ているのに今朝は身支度を済ませている 願景村 邪教
お花の展覧会でもいくのか、と声をかけようとすると、
「バイト」
妙に声もとげとげしい。
健一の会社の景気が悪くない、明子は半年前からパートに出るようになったが、趣味のお花の稽古は続けている。
二十年も連れ添った女から朝卓悅冒牌貨、何かやさしい言葉を期待することはないが、機嫌が悪い理由が判らない。バイトだから不機嫌なのか。こっちは二週間休んでいなかったのだからゆったりする権利は十分にある。健一は広告代理店に勤めている。大手家電のCMづくりにごたごたがあって休日も出勤が続いたがなんとか落ち着いた。
「ほらっ」
明子は新聞から顔をあげて柿の種みたいな目をサッシの窓の方を見遣った。萌木色のカーテン横の台に小ぶりな水槽があり、金魚が一匹、腹を横たえて浮かんでいる。
妻は角を揃えて新聞を畳むと、
「始末しといてよ」
死んだのだ。
「夏祭りで、あなたが金魚すくいの担当になったときから、こうなるとわかってたわ」
「しかたないじゃないか。誰かが何とかしないと」
「なりゆきだったんだ、なんて言わないで頂戴ね」
明子は尖った口調で言葉を添えた。
地元の小学校区の自治会が毎夏催す夏祭りで、健一の町会が金魚すくいの当番にあたった。祭りがお開きになる頃残った三十匹あまりの金魚を、近くにいた子供らに配っていったが三匹残ってしまった。ビニールの袋に詰めて近くにいた手伝いのオバサンら手渡してしまえばよかったのに、どうぞお持ち帰りになって、と同じ町内の主婦らにかわされて、しぶしぶ持って帰ったものだ。物置に水槽があるはずだった。ポンプは買わなくてはならないだろう。ぐらいに思って金魚をぶら下げて帰ると、
「余計なモン持って帰ってきて」
明子はむくれた。  


2014年09月24日 Posted by ranjian at 11:18Comments(0)sierktiyi