見返りとなる

泣きそうになったよ。昨日はほんとに。嬉しいなぁ。温かい気持ちになるなぁ。とっても大きなギフトを貰った気分。。ありがとう。ほんとにありがとう。僕にしてくれた行為であなたにはきっと別な形でのギフトが贈られるとは思うけど、この御恩は御恩としていつかきっとお返しするよ!僕なりのやり方でね!
読みかけだった本を読了迪士尼美語價格。
「GIVE&TAKE」アダムグラント著
世の中は「お金」を得る為の戦場だったりする。人と人との何気ないやりとりの中にも気が付くとせめぎ合いがあったりするものだ。目先のお金をめぐる小さな格闘。よって、この戦闘技術を磨くことに、ついつい一生懸命になってしまう。そこには他人から、「受け取る事」に長けた人達(テイカー)がいれば、その逆に自分の全てを「与える」人々(ギバー)もいる。そして両者の中でバランスをとりもつ人(マッチャー)がいると、この著書では分類されている。
難しいのは一見すると皆、ギバーの顔をしていることだ。テイカーは後にたっぷりテイクンするためにまず与えようとするし、マッチャーはこれまで与えたことの見返りを得ようとテイクしてくる。ギバーは?違う。ギバーだけが違う。彼らはそんな事考えない。ひたすらギブ&ギブン。ではギバーは何も得ていないかと言うとそうではない。図らずとも、彼らにはどこからか、見返りとなるようなギフトが贈られている。
そんな気がするなぁ水族。
たとえば、誰かの為に贈り物をするって行為はその人の為にって思ってやるんだけど、その行為自体に報酬があるわけで、やっていること自体が楽しかったり、幸せな気分になったりするものなのだ。さらに、その行為に対する真の報酬は、ほとんど「神様」としか形容しがたい存在からちょっと間をあけて全く別な形で贈られてくる。
2014年05月15日 Posted by ranjian at 16:37 │Comments(0) │ぬのねぬ
こういう風景を

峠では番いの雉(山鳥か?)がのん気に道の真中を歩いていたりする。先日は夜間の山越えで、飛び出てきた野ウサギに遭遇。いきなりのヘッドライトにどこに逃げてよいか判らぬ風情と方向感覚を失った模様。私はゆっくり走っていたので、ウサギの後ろからゆるゆると運転。ウサギは左右にぶれて飛んでいたが、やっと道路の端から山の中に入ってくれたecig wholesale。
こういう風景は田舎ならではなのだと思うけど、こういう風景を見られてなんとなく嬉しい補水。
ところで、昔はウサギを食べる文化があったそうだ。その肉はあっさりしていて美味しかったそうだ。イタリアではウサギを食べる。日本ではどうしてウサギを食べる文化がなくなったのだろう。ウサギは繁殖も凄いそうだから、安価なたんぱく質源になりそうなきもするのだが。最後に食べ物の話に行きついてしまうのは私らしいというかなんというか探索四十 洗腦、、、。