映画で空中戦

ですので、ゴキブリ予防剤(ゴキジェットプロみたいな?)をあらかじめ撒くのなら、おのおの一か月前の3月と9月が最適な時期だと思うのです。
私が住んでいるオースチンは日本より気候が少し暖かいので、どうもゴキは3月と9月に卵を産むようです。なので我が家では一か月前倒しして、2月下旬と8月の下旬に予防スプレーを撒いています。沖縄の方も2月と8月でいいと思います。
アメリカ在住の方は「ベンガル」という殺虫剤がおすすめ。 即効性は無いのですが、家の中に入って来たゴキは数時間かけてゆっくり昇天しますし、卵から孵った赤ちゃんはあっという間に息絶えます。
これもリサーチしていないのではっきりわからないのですが、ゴキが産んだ卵鞘(らんしょう。カプセル型の卵)の殻は非常に頑丈に出来ており、強力な殺虫剤の成分さえも届かないようです。
しかし、ご安心を。 生まれたばかりのゴキベビーはまだまだか弱くて小さいので、予防剤さえ撒いておけばほぼ産まれた瞬間に死んでしまいます。
一つの卵鞘には40匹ぐらいの赤ちゃんがが入っているようです。
予め予防剤を撒いておくと、なんと最低でも40匹のゴキが駆除できるのですね。
うちは清潔だからゴキもいないし、卵も無い!と言い切る事が出来ない方や、ゴキ恐怖症の方には3月と9月は大切な月ですので、是非覚えておいてください。
ところで、冒頭の金縛りの話ですが、ブーンと飛んで来たゴキはどうも夢だったようです。 私はひどいゴキ恐怖症なので、ゴキが登場する夢を頻繁に見ます。
今回の夢ですが、先週の金曜日に「永遠のゼロ」という映画で空中戦をのシーンを何度も観た影響で、空中戦とゴキが絡み合った夢になったようです。
科学が発達して、私が生きているうちに「嫌いな夢は見ないで済む悪夢予防装置」みたいのが発明される事を切に祈ります。
2016年01月26日 Posted by ranjian at 15:17 │Comments(0) │lope
言葉の裏を読め

上の3つの理由の中で、最もおかしなものは年齢を理由にしたものだろう。「経験」と言い換えても良い。
「過去」の経験が、「今」の俺の考えていることと一体何の関係があるというのか?
何もない鑽石水。
その過去の経験というのが、「俺」自身のことだったのならわからないでもない(本当はおかしい)。
だが、多くの場合、それは、俺とは全く無関係の人間がそのときとは全く無関係な状況で言ったことを基に、判断しているようだ。
この判断方法が示すのは、結局のところ、「『言葉の裏を読む』というのが『決まったパターンの反応をする』ということ」ではないだろうか靜脈曲張?
そしてもう一つ。
この手の人間が自分の「読み」の正しさを主張する根拠としてあげるのが、「自分が常識人であること」だが、これも非常に変だ。
俺よりも彼らの方が世間の常識をわきまえている。
まあ、それで良いだろう。
だが、それが何だというのか鑽石能量水?
「今話している人は非常識なことを言っている」可能性をどうやって否定できるというのだろう?
いや、彼らには、その可能性を否定できる根拠などないのだろう。
そもそも、そんな可能性思いつきもしないと思う。
ただ、「常識ではそういう言葉の裏が有ると決まっている」のだから、そういう反応をし、もしも相手が彼らの常識とは違っていたのなら、その非常識さを非難し、それにより、自分の対応の正当性を主張するのだろう。
こういう反応をするのは、結局のところ「言葉の裏を読む」とは「ルールに従う」ということだからではないか?
もう一つ、「言葉の裏を読む」が「ルールに従う」でしかないと考える理由がある。
それは、「ありがとう」と「ごめんなさい」だ。
この2つの言葉はなぜか、言葉の裏に込めてもわからない人が多いようだ。
例えば、「ありがとう」を言葉の裏に込めて、「助かりました」と言ってもわからない。「ごめんなさい」を言葉の裏に込めて「こちらのミスです」と言ってもわからない。
いや、分かろうとしない。決して納得しない。
普段は、「気を使え」「察しろ」「空気読め」「言葉の裏を読め」とさんざん言っている人間が、「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉があり得る場面においてだけ、その「読み」を放棄する。
なぜか?
それは、結局、「この2つの言葉だけ、必ずはっきり言わなければならない」と決まっているからではないだろうか?
ある場面では裏を読み(実際の有無にかかわらず)、また別の場面では読まない(これも有無にかかわらず)。
そのダブルスタンダードを平気で行ってはばからないのは、それは「文脈や状況をかんがみて、言葉の裏を読まなければならない」のではなく、「どの場面でどう考えるかルールで決まっている」としか、とうてい思えない。
2015年07月15日 Posted by ranjian at 12:08 │Comments(0) │lope
拾い集めてサ
年の瀬も押し詰まり、皆様ご多用の時季だというのに、警察のご厄介になった。
と言っても、単なる落とし物で。現場は、自宅から徒歩5分の、商業施設。
モノは、内科やら眼科やら、同じく近所にある掛かり付け医の、診察券数枚。
恐らく何日間かは、サービスカウンターで預かっていて下さったのだろうに。粗忽な持ち主が、その間に落とした事さえ気付かなかった結果、恐らくは最寄りの交番経由で、自宅から片道25分の所轄署送致となった。
診察券は、貴重品ではない。次の受診時に、再発行して貰えば、事足りる。
落とした分は全て、拾得・保管戴いているようだから、悪用される危惧も無い。
かえって遠くなってしまった保管先へ、“処分”を依頼する選択肢もあった。
実際、“関係先”の一つとして“捜査依加州健身中心頼”を受け、お仕事の合間に「診察券、落とされたみたいですよ」と、電話でお知らせ下さった内科医院の受付嬢からも「引き取りに行くかどうか、事前に電話を」と、警察署の代表番号から担当課の内線番号まで、懇切丁寧なご伝言を戴いている。
しかし、私は小一時間掛けて、徒歩で往復する事を選んだ。
第一の動機は、いつも図書館へ向かう途上、横目で見遣るだけだった所轄署へ、入ってみたいという好奇心。運転免許どころか自転車さえ持たぬため、警察との御縁は滅多に無いのだ。そして第二には、自分の不注意で、関係各所へご面倒をお掛けしてしまった次第が、心苦しいゆえ。
床に散らばった診察券に気付き、拾い集めてサービスカウンターへ持参して下さった方。そこでの保管期間を過ぎ、駅前交番へ届け出て下さった担当者。交番から所轄署まで、送致して下さった制服警察官。“捜査依頼”を承け、カルテで検索した拙宅の番号へ、連絡して下さった受付嬢……
日頃から習い性となった妄想の“癖(へき)”が、脳裏に在り在りと描出するから。
関わって下さった方々は一様に、いつも通りに当たり前の事をしただけ、と仰るかも知れないが。名前こそモノに明記されているとは言え、見ず知らずの粗忽な持ち主の「為に成る」べく、各々お持ちの「溜め」を少しずつお分け下さった次第を、ひたすら有り難く愛おしく感じてしまう。
理系女子の行動原理は、やっぱり『好奇心と敬意と仁愛』。
冬型の気圧配置が、少しずつ強まって行く気配の寒空。斑に浮かぶ雲の群れを見上げ、初めて警察のご厄介になったのも落とし物で、ソプラノリコーダーを失くしたんだっけ、と思い出す。
あの時は、さすがに帰宅して即、気付いた。慌てて探しに戻ったけれど見付からず、母に叱られ、警察へ届けを出しに行ったのだ。生まれて初めて捺印を要求され、印鑑なぞ持ってはいない小学生だから、拇印を捺すよう指示された。
埒もない追憶に耽りつつ、同じ頃、学校の図書室で二類の棚を総ナメにするほど、伝記・評伝を読みまくり、哀惜の念という感情を生まれて初めて抱いていたことも、ついでに想い起こす。
多少なりとも他人様の「為に成る」大人になれたのは
生い育っていく間にお分け戴いた他人様の「溜め」が
積み重なった結果だと『本当の自分』が教えてくれた。