雷が具体的に

雷が具体的に
まずはこのストーリーの主な登場人物です。2人、少師部の栖軽と天皇です。少師部の栖軽は雄略天皇の重要な従者でありました。天皇が磐余の宮にお住まいになっていたとき、天皇は后と大安殿で共寝されていた時、栖軽は知らずにその中に入ってしまいました。天皇は恥ずかしがり、やめてしまいました。

ちょうどそのとき雷が鳴りました。天皇は「あなたは雷をつれてこられるか」と言った。栖軽は「できます」と言います。天皇は「ならば連れてこい」と言いました。栖軽は意気揚々と宮を離れます。

栖軽は赤い布を額につけて、赤い旗を振り回しながら馬に乗って阿倍、山田の近くの道と豊浦の寺の前の道をとおり、軽諸越之衢に至ります。「空の雷よ。天皇がお呼びです云々」と叫び、「雷と言えども、天皇の言うことを拒むことはできないだろう」と言います。その帰りに豊浦の寺と飯岡の間に雷が落ちていた。栖軽はそれを見て、さっそく神官を呼んで、御輿に入れさせて、宮に持ち帰り「雷をつれてきました」と言います。天皇はそれを見て、恐れおののいて、供え物をささげて、雷が落ちていたところに返させた。今はその場所を雷の岡と言います。

栖軽が死んだとき、天皇は彼の忠信を思い慕い、七日間留め、その後墓を作り、碑文の柱をこう書いた。

その雷が彼のことを憎んで、鳴り、落ち、碑文の墓を折り踏みつけ、その柱の折れた間に捉えられた。天皇はそれを聞き驚いて、その雷を放ったが七日間放心状態だった。天皇は碑文を立て直した。

これが飛鳥の電の岡と言う地名の由来である。

できればこの簡単なストーリーを読む前後に原文の訓読文を新潮か岩波の日本霊異記で読んでほしいのですが、まあ、手に入らなければいいと思います。

少師部の栖軽と言うものは言うまでも無く人の名前です。少師部というのは苗字のようなものですね。天皇は磐余の宮で后と共寝、要するに一発やっていたところ、栖軽に見られてしまいました。磐余の宮というのは別荘みたいな場所でした。そして共寝には五穀豊穣を願う願いがこめられての行為でした。実際はどうだか知りませんが。おそらくのぞかれた恥ずかしさから、栖軽に一矢報いてやろうということで雷を持って来いとか言い出したのでしょうね。

この説話の面白い部分は地名の縁起譚であること以上に、雷が具体的に描かれているところにあると思います。例えば菅原道真が大宰府に飛ばされた後、雷になって都で大暴れしましたが(生霊ですね)、雷は当時、相当恐れられていたものだったと思います。それをまあ、結果的に冗談を真に受けて本当に捕まえてきてしまった栖軽を称える意味での日本霊異記上巻初めの話に乗せられているのでしょうね。

次回は上巻十の説話を読んでいきます。最後までありがとうございました。
そういえば、自動車学校卒業してきました。近いうちに水戸に行って試験を受けてこようと思います。

おやすみなさい。



2014年08月06日 Posted byranjian at 12:35 │Comments(0)

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